魂のアップデート ”東吉野~熊野~那智勝浦~十津川村玉置神社”







初日。COMTEMPORARYOrslowのルック、Discover Japanの取材などでもご一緒して信頼のおける写真家の西岡 潔さんからランバージャックス主催「川遊びの日」のお声掛けに乗り、12日の予定で吉野郡東吉野に到着。マイペースな自分が着いたのは午後で、台風の影響でけっこうな雨だったが、悪天候の中でサーフィンをするような気持ちで、小一時間ほどヤスを持って川に入る。アユなどの日本古来種は賢く敏感で、動きも早い、惜しくも突けなかったけど、今年の夏は山を満喫してばかりで海も川も入れてなかったので、水に浸かれたことに満足。



夜はOFFICE CAMPで皆さんが仕留めた川魚をかじりながら交流会的な夕食。ここでは普段会わない人たちと喋れた。ライターになりたいと言う同志社大学の女子の分析力が高かったり、初めてお会いしたd design travel 編集長 空閑さんは、僕の制作した印刷物を見せると真剣な眼差しで「内容が紙から飛び出してくるようなもの」という内容の事を熱く冷静に話してくれたり。こういうのが面白い。そして出会いはいつもありがたい。宿泊は、西岡さんの家にお世話になった。






初日夜の脱線夜更かしBARの影響があって2日目の昼間はゆっくりしか動けなかった後、夜には新しくこしらえた囲炉裏を囲ませてもらえた。西岡さんは囲炉裏奉行をやりきっていて、火をおこすところから消すまで、道具を使うのが上手い。そういえば自分の周りは道具を使うのがすごく上手な人が多いと気付く。



その晩ふと明日起きて元気だったら、以前撮影にお邪魔したままで詣りに行った事がない熊野の方に向かおうと思いながら就眠したのだが、次の日6時頃に目が覚めた時には、寝不足で疲れ気味だったのにもかかわらず熊野に行くと気が決まっていた。この少し前の8月に、立派なお社があるのではなく御神体の巨石がむき出しになった磐船神社が良かったことを西岡さんと話していた。出発前に熊野のおすすめを出力したA4の紙と、フェルニッチのKUMANO Issueを渡して貰う。







1週間借りていたレンタカーの車で紀伊の山々を越え、熊野に到着した昼頃にはけっこうな疲労が見えていた。熊野の海岸沿いで、今年初めての海を見た瞬間、海水浴場ではない石を敷き詰められた海辺でささっと裸になり海パンに着替え、大粒のごろた石の上を海に向かってなんとか歩き、今にも割れそうに波のある場所でちゃぷーんと入水。海水に頭から指先まで浸かるあの感覚に、この日はこの辺りに泊まる(今日も帰らない)と決めていた。














































おすすめが書いたメモを見て最初にお詣りに行ったのは神倉神社。海にそびえて立った山型の急な地形を登った頂上に、御神体の大きな岩とひかえめなお社がある。僕の好きな作りで、元々は熊野三山の1つである熊野速玉大社の前に降り立たれたと言われるコアなところ。ずんっと自身に入ってくるものと安心感があり、着いてしばらく座って休ませてもらってから、お詣りをした。小一時間この場所にいた後、元来た参道の急な階段を下っていく。下りで早足になってきたところを、大きなカニが「地に足を付けて歩け」とばかりに悠々と横切った。これ以来そろそろかな、と神社に行くタイミングのあたりで生駒の山でもカニを見るので1つのサインになっている。

車に戻り、その日泊まる民宿のある新鹿に方に向かいながら、その途中にある花の窟へ。花の窟は、灰色がかった緑色の優しさ。この日行った2ヶ所は、寛大で癒しだった。そしてしっかりとお詣りをするなら、2ヶ所くらいが限界とも思った。実際1ヶ所終わると自我が薄くなっていき身体から力が抜けそうにも感じていた。

宿は「素泊り」で検索して最初に空いていた民宿なのだが、そこがなんと今年頭にDiscover Japanの取材で来た熊野市の新鹿で、それもSUPの撮影をした海水浴場の目の前であった。仕事目的で来た所に、今度は熊野詣で泊まる事に。

翌朝、4日目。YOGAで身体をほぐしてから海に入ってみる。朝の間に海に入れるのは、サーフィンやシュノーケリングをしていなくても贅沢だ。普通の魚の体に底魚のようなヒゲの口が合わさったような奴や小さなエイが見れた。出発前に民宿の兄さんに今日も泊まることを告げて、この日は熊野本宮大社に向かう。










雲がカタカナのハを広げたような橋の形で、印象的だ。途中、農家直売型の道の駅的なところで、大根の葉とナスとキュウリが入ったぬか漬けを2パック買った。こっちに来てから野菜と発酵モノをほとんど食べれていなかったので、レジをしてくれたおばさんの好意で洗ってもらい、その場でぬか漬けだけでかなりの量を食べた。表記のシールにあった生産者の名字は生駒さん。にやりとなる。そこからの道中で、今度は遠くに見える本宮大社のあたりの木々から雲が吹き出していた。


















そして熊野本宮大社に到着し、詣る。御神体に近づけない大きなお社のある神社は、国が出来てきた成り立ち、形を変え続く政治、様々な人が関わってきた男性性を感じ、心身を引き締める厳しさを考えながら、すっと身に入るメッセージを1つ得られた。










さっきから気になっていた雲はまだ印象的で、吹き出た雲と雲の間を猛禽類の鳥が飛んでいる。そこからの帰り道の標識に出ていたいくつかの温泉の名前から、勘をあてに湯の峰温泉に立ち寄ってみる。老舗宿の湯に浸かり、その前に見た温泉客に出されてる料理のメニューを思い出しながら、誰にもできない事をやろうではなく、誰もしないくらいお客さんや内容を理解すると言葉が浮かぶ。近ごろ仕事でもやもやっとヒントになっていた課題が明確になった。感謝。老舗旅館の温泉をあがってから、すぐ近くのつぼ湯は川の中にある岩場がそのまま湯船になっていて、それ自体が世界遺産なのを知ってハシゴで浸かるか悩むが、宿に帰る事にした。この日の夕方から氣になっていた那智の「滝」と、78年前にディレクションをした雑誌の連載で、HEALTHというブランドの撮影でお邪魔をした十津川村の玉置神社を詣ってから、明日中に帰ろうと思い就寝。



























5日目の朝は台風の雨の影響が無くなってきて、民宿の前の海がすこぶる綺麗に。民宿の兄さんはこの春以降で一番綺麗だと言い、水中眼鏡を着けて30分でも水の中を見たい気持ちにそそられる。少しの間悩んだが、昼前に和歌山の那智勝浦にある那智の滝に着いて、15時には奈良の奥地・十津川村の玉置神社に行きたいので、堤防の上から見るだけに留める。それでも、ヘダイやベラなんかが見れた。



出発して那智勝浦に向かう道中、車内から見える自転車屋にまた「生駒」と書いていた。「滝」が氣になって見に行こうとしている那智の滝は、熊野三山の1つ、熊野那智大社の元々の御神体だという事が解り、熊野速玉神社にたいしての神倉神社と同じ関係で、磐座、神木、滝といった僕が心地よく感じる神奈備が結果として熊野3社になってきた。



そして、このあたりから自分は熊野三山を巡るようにいざなわれているのかなと感じつつも、不思議な感触にブレーキはかけずにいた。最後に行く玉置神社が熊野三山の奥の院と言われている事も、生駒に帰ってから知ることになる。




































那智の滝がある飛瀧神社に到着。鳥居をくぐると周りの木々の感じがよくて、木の前で一息ついてから、滝の方へ向かった。さすがに那智の滝は観光地化されていたので、それに交わらない位置とタイミング(笑)を見はからってお詣りをした。自分の知人友人にはバイブレーションや波動をキャッチできるコアな人がいるお陰で、僕は最初からディープなお詣り、お祈りができているようです。しっかりとやると、目を開けた時にすとんと見え方が変わる、特に御神体が木や岩でそのまま在る場合はそう。これは五感というのは一度閉じてから開くと鮮明になるようなんですが。那智の滝は滝の落ちるラインが風で変わるため、今落ちている水の幅よりも広い何本もの線で岸壁が削られている。無数のラインの周りには植物が群生していて、植物は生きれるところで生えていると思った。自分も活きれるところで生きよう。


お昼は勝浦漁港の近くで、良さそうだった和そばの店森本屋というお店へ入ってみる。十割ざるそばとマグロ丼のミニセットというのを頼むと、そばの質感、新鮮な魚やネギの切り方、お店の方の接客まで行き届いていて、料理はめちゃくちゃ美味しかった。郊外的なところでは、意外と美味しい外食をできないのでありがたい。



十津川村の玉置神社までの山道2時間、そこから生駒の自宅まで4時間の長い運転を考えて、コーヒーを飲めるところを探すと道路一筋違いの勝浦漁港の目前に[ぼんくら]というカフェがあった。そこのコーヒーがユニークで、普通の倍量の豆を使ったハンドドリップコーヒーが、マグカップに近いサイズでてくる。ボディがしっかりしていて量が多いのは、この後の動きを考えると最適。店主の方と少し話をしていると、玉置神社まで行く道をざっくりと教えてくれて、2手ある行き方のナビの案内とは違う道で行くと聞いた(ここでの話しが無くナビ通りに行っていたら時間的にあぶなかった)。この店は玉置神社に縁があるようで、お札も貼っていた。


































玉置神社は奈良県の最奥地、1076メートルある玉置山の9合目にあるので、山道を車でかなり登る。時おり落石した岩が転がっている、蛇の動きのように曲がった道を運転しながら、自分は今回の旅で「魂のアップデート」がしたいのだと明確になっていた。時間は15時半頃と少し遅くなってしまったが、傾き始めた太陽がキラッキラに道を照らす木漏れ日がたまらなく綺麗で、駐車場に近づいた時には思わず感極まった。駐車場の係のおっちゃんに「一番上の玉石神社に早く行けるこっちの道から行くんもんや」と言われたが、なんとなく違う道の方を進むと、すぐに写真を撮らせてもらった「あの木」がでてきた。印象が大きい。










注連縄のかかった大杉と、向かい合ったこちらも大きな木。”あの時は失礼しました”と氣持ちを込めて頭を下げてから、お祈りをした。神倉神社のことびき岩と花の窟のお詣りでも、自我が無くなるような体験をしていたが、このときの抜けの感覚は強力だった。自分はこれをするために吉野郡東吉野村から熊野三山、そして玉置神社のこの場所に来たんだと腑に落ちて、そのあと2本の木の間で佇んだ時間は今までにない心地良さを感じた。










陽が陰るまでその場所に居たいという思いに後ろ髪を引かれつつ、神社にいくつもあるお社や御神杉をまわった。このあたりは「せっかくやし」である。2本の木で自身を貫通するものがあったから、その後の夫婦杉などでも次々にメッセージが得られた。






超自然や宇宙や神様といった、社会の常識にはないところと繋がる装置である聖地に出会うと、その時にガイダンスがきて、人は何かをするのだと思う。

僕は体観すると言葉や行動になるタイプのようです。

それは繊細なテクスチャーで、精確に。







神社の中を一通りお詣りしてから、玉置神社の社務所に到着。時間は社務所が閉まる17時の1分前、社務所の人に話を聞くと、その上の玉石神社へは”お若いですし、まだ陽もあるのでいけなくはない”のニュアンス。17時のその瞬間、靴下の上からアブに刺された。良いサインではなさそうだし、玉石神社への道は”熊目撃あり”の注意書きがあって少しだけ躊躇しだが、なかなかない機会ということもあり登ってみることにした。






思っているよりもスムーズに玉石神社に到着をして、石碑を見た時にぐっとなった。
書かれているのは、”玉石社 御祭神 大巳貴命” 。

ぼくの下の名前は貴巳と書いてタカシです。貴重の貴と、干支の巳(へび)、同じ名前はまだ見た事がない字が書かれてある。それまではお詣りをした後にその場所の写真も撮っていたのだけど、ここをお詣りをした直後に、スマフォの電源が切れた。もう体験しかないということ。玉石社は厳かさというか、頑張れよ、というものを感じたが、行って良かったと思う。そこから神社内を駐車場へ向かう途中にある、菊理媛神という御祭神の巨石は凄く癒しでした。


そのあと駐車場に戻った時刻に見れた、雲海の向こう側に太陽が沈んでいく景色
山を下っていく道沿いで大峰の山々の間を白蛇雲が優雅に散歩している場面
画像には残せない最高のギフトだったようです。



結果的に、1泊2日の予定が、丸5日の一人旅に。





自然から、人から、仕事から、目に見える世界と目に見えない世界から、全てから。


学んだキーワードは、現実の中でどう使えるかだと思います。



何かをプラスに持っていける事を知れば、それを人に伝える。誰かに渡す。







これを書いている今は、制作において成果物を仕上げる、気持ちに応える、愛情を入れる、この3つをテーマに、全体で昨日までの自分を超えるようにしています。


それまではクオリティ、心技体でいう技ところばかりを磨いていた。そのおかげで技術が高まった結果もあるけどそれはそれで反省。



2017年の春頃に、ふと人と関わる力が弱いと思い、10年続けていたYOGAと並行して身体を鍛えて体重を増やすことで、心の使い方を変化させれたのですが、今はYOGA、上半身のウェイト、走る、食養、温冷浴、チャクラワークをバランスよく取り入れ、よりよくしようとしている次第です。




Text, Photo: TAKASHI YAMANO




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